22歳男、新卒で就職した会社の独身寮入居が会社の規則でした


現在50歳の会社員、男性です。

今回は、「住み込みや寮住まいの仕事の体験談」について報告します。

 

その経験をしたのは、私が大学を卒業後?に就職した実家の隣町にあるH製作所の子会社だったK電機に
就職したのがきっかけです。

(ちなみにK電機は、現在、親会社だったH製作所が株を売って、
ドイツの会社に買収されて、社名も外国名のMEDJと言う完全な外資系会社に変更しています。


そもそも私がK電機に就職した理由は、私がUターン希望を大学で所属していた研究室の教授に相談し、
その教授の紹介で就職しました。

(そのお世話になった教授も既に亡くなられました。


当時のK電機は、入社後、最低2年間は、会社の同僚や先輩たちとの親交を深めることを目的として、
独身寮への入居が原則的な規則となっていました。

私も実家からK電機までは30kmあり、電車にせよ
自家用車にせよ、通勤するのは片道で約1時間かかり、会社の寮に入れば、数分で通勤出来て好都合でしたので、喜んでその独身寮に入りました。

その後、結婚するまでの約5年間を独身寮で過ごしました。

 

K電機は昭和6年に、当時の大日本帝国が、海外に頼っていた零戦などの戦闘機の電装品(マグネトや
イグニッション等)を、国内で生産する事を目的に設立された約1000人弱の社員がいた古い体質の電装品メーカーでした。


入社当時は、工場や独身寮や家族の方々の社宅や社員の駐車場の他に、グランドや体育館やプールなどもあって、現在の3倍以上の敷地があり、会社の行事も春のお花見や歩け歩け(ウォークラリー)、ハイキング、夏の盆踊り大会、ソフトボールやバスケットボール、バレーなどのスポーツ大会、労働組合の青年部として近隣工場との交流なども盛んで、とってもイベントの多い昭和の雰囲気が漂う昔ながらの人情味がある会社でした。


そんな会社の独身寮で、20代の若かりし日々を親会社だったH製作所の技術研修を受けながら、日々、
技術研鑽できたので、今では、競合他社ですが、同じ職種で実家の直ぐ近くのT芝系外資企業に上手く
転職することも出来ました。

K電機の独身寮の生活は、20代の私の青春の全てでした。

いつも同僚4人
で、食事も大浴場もボーリングや飲み会も、何でも仲間はいつも一緒で、本当に楽しかった。


喧嘩もしたけど、直ぐに仲直りしたし、忘れられない日々です。

ただ、その後、リストラが来るのを察し、先に私は転職してしまったので、せっかく仲の良かった仲間達との別れは、残念で悲しかったです。

 

その独身寮はもう壊して、土地も売って、今では建売住宅になっています。


エピソードとしては、入居後3年目ぐらいの時、寮の中で盗難が多発したことがあり、その際に、最終的に警察が入り捜査した結果、実は寮長さんが犯人だったと言う珍事がありました。

笑えないけど笑える実話でした。

確かに寮長は目つきが怪しかったです。

悪事は人相に出ますね。

 

会社の独身寮に居た頃は、ただただ毎日、一生懸命に生きていて、苦しいことも多かったけど、最終的には、会社の皆んな仲良く、楽しかったことの方が多かったと記憶しています。

 

実は、私は酒癖が悪く、同じような酒癖の悪い同僚と、何度か殴り合いの喧嘩をして、周りの人々に迷惑をかけたことを後悔しています。

今では無理だけど、本当に、あの頃は若くて元気だったのだと思います。

でも、周りも、慣れていた幹事はあり、私も喧嘩した同僚も、それに甘えていた感は否めない。

 

寮生活は、最初は少し心配でしたが、生活してみれば、みんな同じ会社の仲間であり、慣れればとても
過ごしやすく、色々なことがありましたが、なかなか経験できない共同体のメンバーとの共同生活は、
今となっては良い経験になったと思っています。

皆さんも、そんな人生の転機となるチャンスがあれば、
あまりくよくよ心配せず、前へ進んで行けばよいと思います。

為せば成る、皆さんの幸運を祈ります。